Journal de deuil

ロラン・バルトの母であるアンリエット・バルトが亡くなったのは、1977年10月25日であった。ロラン・バルト自身はそのわずか約2年半後の1980年3月26日に亡くなっている。死の原因となったのは、その1カ月前の2月25日の交通事故だが、その事故も本当のところは自死を図ったものだったのではないかと当時から言われている。

Journal de deuil」はバルトがその母の死の翌日の1977年10月26日から自身の死の直前の1979年9月15日の間にメモ(カード)に書き留めていた断想あるいはテクストの断片をバルトの死後にナタリー・レジェが日記形式に編集したものでありその面では私のような一般読者にとってはキワモノに近いと言えるかもしれない

この本のことを想い出したのは、私の母が亡くなり、その約2年半後に自分がほぼ死にかける事故にあい、数カ月後に何とか回復して家に戻ってからのことだった。

自分の母の死は極めて衝撃的なことで、自分自身が事故にあって強制的に入院治療、そしてリハビリ病院でのリハビリ生活を強いられるまでは、語りかける相手を持たない苦痛の言葉の断片の中で生きているような状態だった。そして、今になってこの本を読み返すと、それらの言葉の特異性(悲痛さだけではなく)が極めて鮮明に理解できる。「Fragments d’un discours amoureux」が語られる場を持たない愛の言葉に場を与える試みであるならば、この本は語るべき相手が不在の喪のディスクールでもある。ただ、恋愛の言葉は不在の愛する者全般に投げかけることのできるものであるのに対して、喪の言葉は失われた唯一の者にのみに投げかけられる「永遠(ではないのだが)」に一回性のものである。

ところで、カルヴェは「Roland Barthes」の中でバルトを轢いたトラックの運転手の無意識について示唆しているが、バルトの無意識について(も)述べるべきだったろう。私は事故で死にかけたが自殺の意図は100%なく、それは100%事故であった。しかし、その事故は100%自分で引き寄せたものであったと(今は)言える。助かったのは全くの偶然(迷信深ければ、母が守ってくれた、とかいうことになるのであろうが)であったが、あの事故がなければ遅かれ早かれ別の理由(事故か病気)で死んでいたのではないかと思う。(ちなみに、私の母が亡くなったのは2016年の11月、私が事故にあったのは2019年の5月だった)